comfortably intelligible, comfortably intelligent

そうありたいな…というブログ名にしてみた

2004.06.10(関西英語教育学会第8回研究大会の備忘録)

英語教育学会は久しぶりだ…(お恥ずかしい限りです)。今回の学会の目玉は田尻悟郎先生、玉井健先生、Dr. Diane Larsen-Freemanによるシンポジウム、そしてDr. Diane Larsen-Freemanによる講演、であった。それらに関して気付いたところを記すことにします。(前半はシンポジウムについて)
(シンポジウムについて)
まず、神戸外大の学生さんが疑問を提示し、それらに回答する形でシンポジウムが構成されていました。その疑問は、「教 授項目が減ってるんでは?」、「文法ってルールで表現のバリエーションを奪う場面があるのでは?」というものでした(と思います。ちょっとうる覚えなので 不安です)。
その疑問を受けて、田尻先生、玉井先生が自らの実践をビデオで提示し、ポイントを解説しました。
(田尻先生のセッション)
田尻先生は、中学生にとって当然文法は重要だとした上で、その方法にまず語順指導を徹底すること、文法のカルタを用いた定着をあげていました。楽しく、か つ徹底されたパターンプラクティスを経ていることが見て取れました。また、自学ノートの実例から、生徒の作文のプロセスとそこへの教師の介入の仕方がよく 見えました(ノート中の田尻先生のコメントで、「外国語がいきなり正確に書けることなどありません。間違って直すという作業を繰り返してこそのびていくの です。」というコメントが非常に印象的でした)。
(大和コメント)
これまで「わくわく授業」などでも紹介されていた語順指導でしたが、「鋳型」を与えることで文章を作りだすことができる、ということは当を得ていると思い ます。実際そこにつまづいている学習者が非常に多いのも事実ですし。また、膨大な学習者のデータをもとに典型的な誤りを判断し、それらをもとに適切な指示 を処方する方法、単調と思われる型を身に付ける作業を楽しく興味深くする技は本当にすごいなぁと思いました。(また、関係あるかどうかわからないが、)田 尻先生本人が撮っているであろうビデオの目線が非常に柔らかいのがよかったと思いました。"Being 田尻先生"1って感じで、「あぁこんな風に作業を、生徒を見ているんだなぁ」と追体験することが少しはできたように思います。
(玉井先生のセッション)
玉井先生は、外大の学生への文法の授業でのビデオを提示しました。さまざまな文脈における文法事項の効果を意識化させる、という手法でした。頻度を表す副 詞や要求の強さを表す助動詞の度合いを温度計形式で表示したり、時制への気づきを文章中の定型文や文中の動詞の現在、過去形から引き出したり、はたまた教 科書の文章を時制に注意してリバイズする作業をさせたり、能動、受動の文章が結末になる物語を作成させることで、それらの違いに気づかせる、といったタス クを課していました。
(大和コメント)
まず、「面白そう!」というのが第一印象でした。教員養成における文法の授業、あるいは英語の習熟度が高い学生に対しての文法指導として、非常に興味深く みることができました。文法項目を単体として説明するのではなく、必ずなんらかの文脈に当てはめてその違いを体験させるのは、非常に重要かつ必要な点だと 思いました。
(Larsen-Freeman先生のコメント)
以上のような実践を垣間見て、Larsen-Freeman先生がコメントを加えました。これらの実践、教員からは、「5つのC」が見て取れる、と始めま した。それらは、concern、compliment、caveat?、commonalities、complementariesの5つでした。
concern
2人の実践から、学習者への真剣な関心、気遣いが見て取れる、と述べていました。
compliment
teachingは卵を入れる箱(egg carton)ではなく(つまり各教室で各教員が個別に行うものではなく)、公にされ、共有されるものである、と述べ、2人が実践を公開したcourageを称えていました。
caveat?(大和の理解不足です)
これ、多分なんやけどなぁ…お恥ずかしい。仮にこの単語だとすれば、「ただし書き、警告」という意味で、話された内容からすると、「各先生の実践をビデオ で垣間見たことから、全ての文脈を知らないため、留保が必要である」という「ただし書き」である、と理解できる(だろう、恐らく、多分…ね)。
commonalities
2人にある共通性を3つ挙げていました。それらは、1)attitude of inquiry、2)teach learners, not teach English/language、3)view of grammar、の3つでした。1)では、2人ともが教える立場であっても飽くなき探究心を持ち続けていることが述べられました(憧れる力@齋藤孝の『教 え力』)。2)では、気づきを促す指導や帰納的な学習によって、学習者を巻き込む指導をしており、それによる学習者を教えており、言語を教えているのでは ない、という点が述べられました("teaching is engaging, not entertaining.")。3)文法を規則の集積としてみるというのではなく、むしろパターンであると見るような見方ができている、また極端に二分 法的な物の見方をしているのではない、という点も述べられた。
complementaries
一定の留保を踏まえつつ、2人の実践に補足をされた。田尻先生の語順指導の実践に対しては、もっと "use" の立場を考慮してはどうか、と指摘していた。その際、次のような例文を挙げ、その違いをオーディエンスに考えさせた。
It is a pen on the table. (identity)
There is a pen on the table. (existence)
これらの違いは、田尻先生が挙げていた語順指導のスロットだけでは不十分であるとの指摘であった。また、さらに語用論的な視点から、手が離せない人が相方 に「書くもんない?」と尋ねたときの答えとして適切な文として、次のいずれがよいかを尋ねてきた。
There is a pen on the table.
A pen is on the table.
後者には「はぁ? そこにあんのん見えへんの?」という含意があるとされ、これらの使用の領域に関しては、たとえ初学者であっても知る必要があるのではないかと述べられた。
また、玉井先生の気づきの実践に対しては、"practice" はどうしているのか、と指摘した。気づきを高める実践で、使用に対するケアがよくできているが、それが定着しているのか、またそのために何をやっているのか、という点が指摘された。
(大和のコメント)
まずは「5つのC」なんてうまいなぁと、プレゼンスキルに驚嘆しておりました。それから、一定の留保を持ちつつ、共通点を見抜き、さらにそれを基に自身の講演へのブリッジにするあたりはすごいなぁと思いました。
「形式・意味・使用」の観点から、2人の実践を補うべき領域を述べていましたが、当然それらが2人の実践全てではない ので他で補っていると思われます(先のcaveatより)。ですから、「Larsen-Freeman先生は2人の足りんところをビシーっと指摘してす げー」とはなってはならないと思います。
ただ、こうしたLarsen-Freeman先生の行為は、文法を捉える際に「形式・意味・使用」の観点を持つことに より、自分の行っている実践がどこに位置づくのかをマップする手助けをするんだ、ということを示していたのだと思います。観点に3つの領域があったからと いって、「1つ足りないからこりゃいかん実践だ」と言っているのではなく、「これが足りないから他のタスクでこうしよう」とか「ある文法項目に対して、今 日はこの領域から、明日はこの領域を攻めよう」と考えられるようになるべきだ、ということだと思いました。特に文法に関してはは、「規則の集積」という意 識を持ちがちなので、観点の導入は重要だと思いました。
うまくまとめたかどうかは甚だ怪しいですが、とりあえずのまとめとして記しておきました。(08.06.2004)
註1)これは映画 "Being John Malkovich" から引っ掛けましたが、うまくないですね。失礼しました…。

<講演 "Teaching Grammar or Grammaring?" について>
まず、導入として問題点を明確にしていました。教育哲学者であるAlfred North Whiteheadによる "the Inert Knowledge Problem" という概念を提示していました。この概念は、授業などで学習した知識が、実際場面では運用できないという問題のことであると述べていました。その際には、 授業以外では使えないという時間的側面、教室場面以外では使えないという空間的側面、の2つから捉えられるとしていました。文法指導というのはまさにこ の"the Inert Knowledge Problem"ではないか、という問題提起から始めました。
では、どういった要因によって上のような問題が引き起こされてているのか、という話に移りました。要因の多くは「誤った二分法」(false dichotomies)である、と述べていました。
大きなところでは、方法論の振り子に伴う「文法かコミュニケーションか」といった二分法的言説、それよりは小さなレベ ルになりますが、「文法かリーディングか」という形で授業形態が分けられたり、「知識と技能」といった分類、「機械的反復練習と意味のある練習」や「形式 への注目と意味への注目」などが例として挙げられました。
いずれも、本来は「いずれかであって、もう一方ではない」という種類も事象であるにもかかわらず、教員や研究者は片方 に与することをよしとします。文法はどうも静的な知識体系であると捉えられており、それらを指導する際には常に対極となるものが存在するとされるのはどう もおかしいと述べていました。
そこで、「文法を捉えなおしましょう」と提案し、"grammaring" という概念を持ってきました。
"Grammaring is the ability to use grammar structures accurately, meaningfully, and appropriately for one's own communicative purposes."
"grammaring" と "ing" がついているのは、そこに「動的なプロセス」や「技能」、「進行」の意味合いを持たせているからだ、と説明していました。
では、グラマリングを指導するには、どういった点に留意すべきでしょうか。次のような段階を経ると述べていました。
1)項目の複雑さを判断する
ある文法項目を取り上げるとすれば、その難しさ・複雑さを判断する作業が必要です。その際には、「形式・意味・使用」の3領域から考えるとよいでしょう、とパイチャートを示しました1。例えば、「受身」においては、「形式」はbe動詞と過去分詞から作られる、「意味」は動作主の焦点をはずす、変える、「使用」は話題の中心を示す、情報構造を明らかにする、動作主を明らかにしたくない、などがあります。
2)どこに焦点化するか
上の1)で判断した領域のうち、(目の前の)学習者にとってどの領域に問題を抱えているか、どの領域が一番難しいと思われるかを判断し、焦点化する必要が あると述べていました。日本人英語学習者の場合、恐らく「使用」の領域が最もチャレンジングなのではないか、と述べていました。
3)心理的に真正性のある活動・タスクを
では、その領域をどうタップするかということで、活動・タスクを考える訳ですが、その際にも心理的に真正性があるものを提供する必要があります。それぞれ の領域に特有の指導があってしかるべきだろう、ということで、「形式」には無意識に使用の機会を増やすことを勧めていました。「意味」では形式と意味の一 致を図ることを勧め、「使用」ではどの場面、文脈で使用するのかを考えさせる、ということを述べていました。
4)的確なフィードバックを
これについては十分な時間が取れませんでしたが、それぞれの領域での指導を行い、その都度適切なフィードバックを与える必要性があると述べられました。
実際にやってみましょうということで、3つほどやってみました。
1)所有格の「形式」にタップ
両親のイラストから産まれてくる子供の顔を推測する。 "This child has mother's nose.  This child has father's smile." といった要領で、何度も所有格が出てくるタスクを行う、というものでした。
2)冠詞の「意味」にタップ
先生が話す状況を絵にしなさい、ということで、 "There's a man.  The man is holding a flower.  The flower is ..." と説明していく。"a" と "the" の交互の使用(Z shape discourse)を体験しながら形式と意味との連結を図るものでした。
3)there is構文の「形式」(あるいは「使用」?)にタップ
部屋の絵を見せて、住人の特徴を尋ねていく。例えば、"Do you think this person goes on a diet?" と尋ねる。その際、理由付けとして "Because there's a cake." などと答え、教員も確認する。(多分これは「形式」でたくさん使用することで定着を促す、だと思うんだけど、教員が "There is ..." と旧情報にもかかわらず繰り返す点については、「使用」の部分にタップしている、ということだったような…)
(大和コメント)
と、うまくまとめたかどうかは甚だ怪しいですが、こんな感じの講演でした。ある程度のコメントは前のその1に書いておりますが、一応コメントを。
まずは "grammaring" という概念について考えたいと思います。動的に捉える、という目的で "ing" をつけたところ、"listening"、 "speaking"、 "writing"、 "reading"の4技能と並び立つことになりました。あるいは "grammaring" は全てを包括する上位語(傘のような状態)になったかと思います。4技能と分けること自体をやんわりと打ち消しているかもしれません。このことに対しては私としては賛成できるなぁと思いました。
ただ、やはり上の活動もそうですが、どこに特化してタップするのか、ということを考えるのであれば、 ある特定の分類に基づいて活動を行っているということには変わりはないのではないかと思いました。その1でも書いたように、教員があるいは学習者が、「自分たちがどこにいるのかをマップする」ためにはよい整理方法だったように思います。
私にとっては、今回のシンポジウムや講演は、「もっと語用論的な側面を見ようよ」というメッセージを受け取りました (一方的にですが)。やはり初学者とは言っても、「使用」の領域を看過するわけにはいかないだろう、ということを強く感じました。うーん、勝手な解釈なん だろうけどなぁ。
と、結構刺激的なシンポジウムと講演だったと思います。(10.06.2004)
1)パイチャートは例えば以下を参照下さい。
杉浦理恵、高島英幸.  (2004).  「タスクによる児童・生徒が活きる授業への転換2 文法指導のあり方をタスク活動を通して探る」.  『英語教育』. 53/2: 48-50. (2004年5月号)