comfortably intelligible, comfortably intelligent

そうありたいな…というブログ名にしてみた

2002.02.03「英語教育達人セミナー@広島県生涯学習センター」備忘録

2月3日の広島達人セミナーに参加した。これで達人セミナーへの参加は3回目となる。今回の(自分の中での)目玉は田尻悟郎先生であった。語順指導や自学システムなどを考案し、実践している先生がどのような形でワークショップを行うかが気になったからである。
私は正直苦手であるが、今回も実際にさまざまな活動を一緒になってやる形式でセミナーは進んでいった。谷口先生のネタ は何度か聞いたことのあるネタであったが、後々田尻先生のものともリンクするとはその時には気づくことができなかった。続いての清家佐保先生の発表では、 いかに学生を巻き込むかについて話をされたと解釈した。スキーマを提供することで、あるいは現物(あるいは近似物)を用いることによって、学生の動機付け を高めようとするものであった。例えば、ニュースキャスターになってレッスンを消化し、最後には実際にそれをビデオに撮る。あるいは小説の場面を再現す る、などであった。また、トランプで座席を決めるなどのちょっとした工夫で生徒が喜ぶ、あるいはピンポン・ブーを用いることなども工夫の一つであろう。
午後からのセッションでは、高知から長崎政浩先生が「和訳先渡し」授業の実践の説明をされた。実際の授業のダイジェス トをビデオで確認しながら、その活動を説明された。この方法を用いることで、まず教科書のパート分けにとらわれず、全体を何度も読むことになり、その内容 をつかむことができるという。スキャニング関連のタスクが主であったように思われる。広大系の「深い読み」好きの方々にはなかなか受け入れ難かったのでは ないかと思うが、「どう読むようにさせたいか」の相違の問題であり、どちらが絶対的によいというものでもないと思われる。理想的には(そして卑怯な方法で もあるが)、折衷案に落ち着くのではないかと思った。私が今通う商船高専で、「和訳先渡し」を実践すると、おそらく学生が戸惑うことであろう。「じゃー何 するん?」ってな感じで。しかし何かここから使えるものはないかと思うのだが…。
「量を確保する」とのことであったが、よくよく考えると「本当かなぁ」という気もした。というのも、スキャニングの際 にはまず全文目を通すことはしないし、その後の活動においても全文に目を通すということはそれほど多くなかったような気もした。「通常の訳読では毎分2語 ですよ」という言葉には確かに驚きを覚えたが、この方法でも大差ないのかもしれないと思った。そもそも授業中に毎分の語数を確保することにどれだけの意味 があるのかは正直いって分らないところはありますが…。
最後に田尻悟郎先生のセッションが始まった。きれいな発音、ユーモアに富んだ喋りに、思わず「そのアブフレックス買います!」と言いそうになるぐらいだった(いやまぁそれぐらいうまかったという喩えですのであしからず)。
軍手を使った語順指導は有名であるが、その指のそれぞれの要素に関する規則をまとめていた点に驚きが隠せなかった。 「どのよう」「いつ」「どこで」などは基本的に前置詞から始まる、といったことを徹底的にまとめていたのである。しかもそれらがこれまでの自学ノートから の学生のプロダクトからである点も驚いた(もちろん自身でも勉強はなさっているでしょうし)。今回のセッション中には、参加者に帰納的にそれらを分らせた のであった。50秒でいくつ前置詞句、副詞句が言えるかを試させ、後々それが前置詞から始まるもののリストであったと気付かされるのである。そうして作ら れたリスト、参照物は学生に持たせてあり、彼らは常にそれを見ながら考えて英語を作ってゆく。したがって、この時の教師の役割は「教える」というものでは なく、そのリスト、参照物へ帰るきっかけを与える人になる。また、「刷り込み」「パターンプラクティス」が改めて重要なのだなぁと感じた。パターンプラク ティスにしてもその際に選択肢が多いほど学生も楽しむであろうし、工夫をしようとする。それを可能にしたワークシート集も配られた。
諸手を挙げてよかった、だけではいけないので、多少の疑問点を。今回は、語順指導を行うところから産出、自己表現ということだったが、普段の授業において教科書などをどう取り上げているのか、それと語順指導との関連などがどのようになっているかが知りたかった。
それから、昨年の達人セミナーの目玉でもあった中嶋洋一先生のセッションとは大きく違うなぁと感じるところがあった。 今回の田尻先生の発表はどういう順序であったかは知らないが、応用言語学的、あるいは言語学的なバックボーンが強く感じられた点である。語順という統語体 系を理解し、その語順に当てはまる構造を分類、整理し、学生に提示した点は特にそうであった。また、パターンプラクティスに回帰(あるいは必然的にそう なった)点についても多分に応用言語学的と言えるのではないであろうか。
一方中嶋先生の時には、「人間教育」という言葉が適切かどうかは定かではないが、情操教育的な感覚を受けた。だからど ちらがいいとかの問題ではなく、そう感じたというだけである。個人的には言語学的バックボーンが強く出ている方が好きではあるが。(私は3回しか達セミに 行ったことがなく、もちろん両先生を個人的に知っているわけでもなんでもないため、あくまで一回ずつのセッションを受けた感想にもとづく推論であることに 注意されたい。)
最後には柳瀬先生のまとめがあった。break the limit of imagination、change the environments、analyse、construct、systematizeなどのキーワードを挙げ今回のセミナーを総括した。こうした作業 が大学教員の行うことなんだろうなぁと漠然と考えた。しかし一方で、大学教員は常に一つメタなところにいるというのは多くの人が抱く誤解であるようにも思 えた。大学教員にしても、授業の力が求められ、英語教育の教員であれば英語を実際に教える力が測られるであろうし、研鑚を積むべきであるとも思う(これは あくまで私の研究力不足から来る愚痴および嫉妬ではない、と信じたい)。そういう意味では、もっとたくさんの大学で英語を教える先生方が達人セミナーに来 ていても不思議ではないのになぁと感じていました。
後は、長年会っていなかった同級生に会えたことが大きな収穫だったなぁ。